重松清『十字架』感想/自殺した人と残された人の話

★★★★☆

いじめが原因で自殺した中2の同級生。彼の遺した遺書にいじめの主犯格の人達とともに名前を連ねられた主人公と、同じく名を挙げられたヒロインの話。

主人公/ヒロインはいじめていたわけでもなかったのに名を挙げられていて、タイトルのようにそれが彼/彼女らの人生における重い十字架となる。自殺が物語の始発点。十字架を背負った主人公の想いと半生が綴られているという構成。

読了後の今となっては、書くのは気が引けるが……正直、読み進めている途中で僕はうんざりしていた。優しすぎる主人公と、執拗なくらいに主人公に怒りを向ける自殺した同級生の父(=あの人)。怒りの矛先が違うだろうと嫌気すら差していた。

気が引けると書いた通り、少し自分の考え方を考え直させられるような主張があったもののそれは感情論に過ぎないと思ってしまう。

僕はよく自分が登場人物の立場だったらどうするかを次々に考えていって時間を潰したりするけど、多分『あの人』の立場になって考えたりはできない。前提条件が違いすぎる。

守るものができたら僕も『あの人』みたいになってしまうんだろうか。それはそれで酷というか。本作で一番の被害者は主人公とヒロインなんじゃないかとさえ。

いじめの話を見聞きすると高い頻度で思い出してしまう話がある。

僕が池袋の河合塾に通っていた頃、教育関係のNPO法人の代表がある教室でプレゼンをするなんて広告を見かけて、何となく聞きに行った。僕は別に教師志望でもなかったし、単なる野次馬でしかなかったと思う。珍しいもの見たさだった。

スピーチをする彼の体型はがっしりしていて、背丈も高かったけど、中学生の頃は真逆だったと語る。そして、自殺を考えるような酷いいじめにあっていたとも。

けど、そんな時に教師のひとりが声をかけてくれて、一緒に『いじめられないためにはどうすればいいか』を考え抜いたんだそう。

まず、真っ先にいじめの原因として考えられたのが、いじめやすそうな体つきだった。要は舐められているからいじめられているんだと。

それから彼は、筋トレや体づくりに励んだ。時間は要したが、徐々に体は大きくなっていったと彼は嬉しそうに話していた。

すると、少しずつ周りの目も変わっていき、やがて、いじめられなくなった。いじめる側もいじめることが出来なくなったんだと思う。いじめは色々なケースがあると思うし、一概にどうとは言えないけど、共通点があるとすれば『いじめられる者はいじめる者より肉体的ないし精神的に貧弱』という点が挙げられるのではないだろうか。いじめる側の方がいじめられる側より貧弱だとすれば、それはいじめではなく挑戦になってしまうだろう。

上のケースはあくまで問題解決の手法のひとつでしかない。その中でもかなりハードルの高いものだろう。ほかの解決策として、不登校などで逃げる手もあるし、告発して真っ向から戦う手もある。なんとか金をかき集めていじめる人らを買収する手もある。あるいはかき集めた金で遠くに行ってしまうなんて手もある。

もちろん、そのひとつの中に自殺もある。どれを取るかは本人が決めることだ。

でも、僕は地球の歴史の中で(今のところは)今が一番良いと思っている。他の時代を経験したわけでもないからあくまで予想だけど、現代の日本は間違いなく長く続く歴史の中でも住みやすさ上位に入るんじゃないだろうか。歩いていたら地面が爆発する確率も、街中で銃に撃たれる確率も、多くの人が見る中で首を落とされる確率も、身分の問題で虐げられる確率も、腹を空かせて苦しみながら眠っていく確率も、限りなく低い。おまけに、最悪、働かなくても(=嫌なことから逃げても)最低限の暮らしが保証されている。借金だってリセットできてしまう。たまらない。こんな時代、こんな国、なかなかない。

理不尽なことやどうしようもなく気が滅入ってしまうことは生きていれば当然ある。だけど、他の時代に生まれてくるよりはそういう機会はよっぽど少ないはずだし、できることが多い分解決策も今が一番多いとも思う。

生きていればいつか必ず良いことがあるなんて口が裂けても言えないけど、今がどん底なら相対的に見て将来が今より楽しくなる確率はかなり高い。もし、まだ若いなら、できることが増える大人になるのを待たずに死んでしまうのは勿体ないとつくづく思う。時間を忘れて熱中することや人に出会える機会があるかもしれない。

こう言うのは何も僕だけじゃない。自殺を勧めない人は多いはず。

好きなアーティストにキリンジというグループがいる。彼らの作る詩には暗いものが多い。苦しんだ人にしか紡げないような言葉もある。そんな彼らの曲の中に5分くらい延々と『逃げ出そうぜ』『死ぬくらいなら逃げようぜ』と歌うものがある。

中島義道という哲学者がいる。彼もまた深く深く死について考えているだろう。あるいは、その半生や言動から酷く苦しんできたことも分かる。それでも彼は『どんな愚かな人生でも、乏しい人生でも、醜い人生でもいい。死なないでもらいたい。生きてもらいたい。』と言う。

生きていれば誰にでも嫌なことは起こりうるけど、僕はたまたま幸運にも、その嫌なことが自殺という天秤の片方よりよっぽど軽いものばかりだった。文鎮と羽毛くらいの差はあるかもしれない。ともすれば、『あの人』の気持ちと同様にいつまで経っても、自殺する人の気持ちは理解できない。そもそも苦しみは感覚値で、感覚値は推し量れないし。

だから、結局は他人事なのかもしれない。綺麗事もしれない。でも、これだけの人が死を勧めないんだからやっぱり解決策としての自殺という手段は解決策の中でも悪手の方に入るんじゃなかろうか。

何より死ぬ時って痛そうだし苦しそうだし怖いし。って感情論で締め括ればおあとがよろしいのでは。

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