作ってます!

米澤穂信は闇や不幸、理不尽を描いてこそ輝くなぁ〜

書き終わってみると自分が喋りたいことひたすら喋った感じ、有益な情報提供である記事を執筆と言うよりダラダラ雑談したといった具合で読む人を全く考えてない文章だし推敲する意思さえ微塵もないのだけれども、言いたいことって一つだけで、ボトルネックはいいぞ〜っていう。ぜひぜひ。

このブログでは初めての作品感想メモだからまず色々と僕の好みや考えについて語ってしまってる。ご愛嬌。

氷菓

★★★☆☆

アニメで広く知られている氷菓。僕がここ、ひいては米澤穂信にたどり着いたのもまさしくそれ経由だった。
別に何も偏見は持ってないけどアニメ化するのはタイトルが長いようなラノベだと思ってた分、普通の小説の装丁だったのは驚いた。この作品で米澤穂信はなんかしらの大賞を取ったみたいだけど、僕が先に読んだ作品は『ボトルネック』だったからあまり興奮は少なかった。
作者が作りたいモノを作る媒体が声だろうと演劇だろうと文字だろうと映像だろうと、僕は作品の面白さを受け手(ここでは僕)側の喜怒哀楽の大きさで評価する節がある。
感情の起伏が少ない私生活において、喜怒哀楽を与えてくれるモノはどのベクトルに感情が向くにしろ素敵だなと常々思う。
例えば社会や大衆のお怒りを買ったりなどして炎上しまくりのインフルエンサーも、社会に与える価値は計り知れないなぁって感心してたりするし、そう言うインフルエンサーのパフォーマンスに本気で向き合って怒り心頭に発する人も守るものがあって羨ましい。
話が逸れたが、
私生活において感情の起伏が少ない
というのは、
私生活において予想内のことしか起こりづらい
というのを意味する。
予想外のことが起こった時にこそ僕の感情は波を立てるから。
ここまでをまとめると
・僕は予想外のことが起こった時に喜怒哀楽など何か感情を抱く
・喜怒哀楽を与えてくれる作品こそ僕が面白いと思う好みの作品
ということになる。
というわけで、予想内のことしか起こりえない日常モノとかほのぼのモノ、みたいなものってあんまり得意じゃないというか面白みを感じないという前提を共通認識としたところでようやく本筋に入っていく。
氷菓は日常モノだ。つまり……。
僕がもう少し評論家気質なところがあったら上手く自分の中の教養を必死にかき集めて、それらと結びつけてアレコレ掘り下げていくんだろうけど、あいにくそうではないので、『つまり……』以上の感想がなかったりする。残念。

ボトルネック

★★★★☆

これを書きたいがためにわざわざ記事を書いた。
この作品はよかった。僕と同じ感性を持ってる人には特にオススメしたい。
僕は腹を割って話す相手には性格が歪んでいると言われることがよくあるし、自分自身性格悪いなぁなんて思ってたりする。
正直人の不幸とか闇とか、そういうものを見られないと作品は面白くないとさえ思う。
ご都合主義のストーリーの筋とか、予定調和とも言うように去っていく敵とか、そういうのが好きならアンパンマン見てればいいんじゃね?なんて思ったり。
というように多分性格が悪い反面、表面上を取り繕うことは出来る程度のおつむないし社交性を持っているせいか『話してみると意外と常識人だ』という感想ももらったりする。
性格悪い人は性格のいい人を演じられるというのは性格の悪い人の特権なのかも。
そして僕みたいな評価を貰うような人はこの作品を面白いって思うんじゃないかと予想してる。そう言う人–少なくとも僕–は表面を取り繕うことに気を払うからこそ同じような人がボロを出したら見逃さないし、覚えておく。人の失敗を目の当たりにしてそれを記憶すると言うのは、失敗事例として知識に蓄えておくことで同じ轍を踏むのを回避できる可能性が上がると言うのはもちろんのこと、自分自身が失敗しないように気をつけて生活しているからこそ失敗した人を見るのは面白い。それ見たことかと。
と言うわけで僕が面白いという作品は僕と似たような人にはオススメできる。ボトルネックもまさしくそうだ。
だけど、今回僕がこの作品を面白いって思ったのはそこだけじゃない。
ハンターハンターの冨樫先生が『漫画家になりたいなら絵でもストーリーでもなく魅力的なキャラを作ることだ』みたいなことを言っていたが、これは至言だと思う。
ボトルネックは一人称視点で、内面や考えも描かれながら進行していくのだが、主人公には色々と共感を覚えることが多かった。件の至言で言うところの魅力的なキャラに当たる。
これがもし作者である米澤穂信さんの人間性が多少なりとも反映されてのことだったのなら僕は米澤穂信さんのことが好きだし、全く違う人格ながらに狙ってやってるならもっと好きになる。
では肝心の主人公についてだが、彼はLet it beをモットーに生きている。全てなるようになるし、その起こったことは起こりえたこととして処理する。仕方のないことと考える。だからか、目の前で起こる自分事をどこか他人事のように冷めた目で見るような様や、起こってしまったことに怒りも何も抱かないで平然としている様子にはわりと共感を覚えた。
また、主張がないという点も良い。僕自身もそうだが、何者かになったかのように豪語したことでさえも後で言及されてもまるで覚えてないということはよくある。その時のポジションと雰囲気で何となく口にしているだけだから。要はこだわりや頓着があまりない。そもそも、関心の対象たりうるものが少ない。だから相手にも『こうあるべきだ』とか何かを求めたりはほとんどしない。
記事冒頭で言った、私生活において喜怒哀楽が少ないというのもこれら2点に起因するのかもしれない。
全てを自分の思い描く通りにしたいと強く願っていたり、人はこうあるべきだと人類を画一化することに熱を注ぐなら、人生は喜怒哀楽で溢れてさぞ面白いだろう。
本筋や本文を用いるのは好きじゃないが、彼の魅力を伝えるには引用するが語るに早い。

ぼくはおおよそ怒るということをしない。怒るというのは自己主張の方法の一つなので、主張がない場合は怒る必要もないからだ。

あとは、笑いを抑えられなかったシーンがあったのでメモがてら引用。

ぼくの側では、嵯峨野ハジメ(主人公=ぼくの兄)はまあ一言で言って、平凡の果てに自爆した。ヒサンな家庭環境の犠牲者である俺、というキャラクターに全身で酔いしれて、それを埋めるために純愛めいたことに手を出した。しかし天性の凡庸っぷりからそれも破綻し、今度は心機一転受験勉強に打ち込んで、それもまた失敗した。兄の垂れ流した名言の中でナンバーワンに輝くのはなんと言っても「大人なんて信じられねえ」だが、それに匹敵するぐらいおいしいセリフを、彼は受験に失敗したときに吐いた。なんと「俺はやればできるんだよ」だ。他人から無意味な励ましとして向けられるならまだしも、自分で言ってしまうところが素晴らしい。それも、何度も何度もぶつぶつぶつぶつ呟くのだ。兄の強烈なみっともなさ、そして狙ってやっているのかと思えるほどの没個性っぷりは、ぼくに深い印象を与えた。兄の自己憐憫も、家族と恋人と受験に限られた世界の狭さも、平々凡々でありながら根拠もなく高いプライドのありようでさえもあまりにステレオタイプ的に思われて、僕は兄の姿を見るたびに内心でこき下ろしていた。


この、読む人によっては不快感で満たされて気でも触れてしまうんではないかってほどの毒の多い皮肉には物凄く笑わされた。
別に心理学なんかかじってやいないけど経験則や体感として、皮肉や嫌味というのは、『直接的/直情的な暴言で人を傷つけることには臆病、あるいはそれほどの度胸はない小心者であり、かと言って怒りを抑えて、原因である相手にはそれをぶつけず穏健に済ませられるほどの大人ではないからこそ、』『場合によっては伝わるかもしれないし伝わらないかもしれないという曖昧な境界線で相手を思い切りこき下ろすもの』だ。
おまけに、もし伝わった場合には、相手の怒りが普通に暴言を吐くよりもますます膨れ上がるほどの一手になりうるという姑息かつ狡猾かつ陰険かつ邪悪な諸刃の剣が皮肉や嫌味と認識してる。
そんな皮肉や嫌味を繰り出すに至るまでの過程や心情の経緯を想像したり、その発言の内容などを見ると僕は膝を打ってしまうほど嬉しくてたまらない。仲間を見つけたような気持ちになる。
僕も誰かに不平不満を伝える時は皮肉を使うことが多い。親しい人に何度も怒られたけど、結局治らなかった。まぁそもそも怒ることがほとんどないのだから、僕が怒る時というのはよっぽどの理不尽が働いた時だという盾で自分を正当化して、治す気がなかったのかもしれない。叱ってくれる人がいるうちは華だななんて今となっては思う。
ちなみに、記憶がおぼろげだけれども、高校かそこいらの頃に読んだ佐藤正午のYという小説にもたっぷりの毒づいた皮肉を口にするキャラクターが出てきたような気がする。作品違いだったら申し訳ない。
あれもなかなかに気持ちが良かった。

リカーシブル

★★★☆☆

なんだろう、えらく抽象的だけど、米澤穂信の文章はどんよりしてる。どこか重い雰囲気が漂っているようで、読んでいると気持ちが暗くなる。(それがまたたまらなくいいんだけれども)
例えば森博嗣作品なんかは内容や文体的にラノベみたいなもんだと認識していたけれど、米澤穂信作品は出してる各作品の厚さ的にラノベみたいだなぁとか思ってたりもした。
けど、リカーシブルはそこそこ分厚目でそれなりに長い期間暗い気持ちにさせられるもんだから、そこはたまらなく良かった。
敢えて言うなら設定導入、雰囲気作り、キャラ描写に時間がかかりすぎていて、『転』部分への長さが少しだけ気になったけれど、基本的にはダークな話で面白かったと言った感じ。
もちろん、それは言い換えれば細部に至るまでリアルだとも言えるし、実際『民俗』絡みの話なのだがそちらの方面に明るくない僕でもある程度雰囲気を掴むことは出来た。
ちなみに、僕的『転』部分は『それから?』のシーンだった。人によってはそれなりにゾワッてするかも。こういうポイントに巡り会える小説はすべからく素晴らしいものだと思う。
あと、何度も何度も話が逸れるけど、おまけにすごく失礼な話なんだけど、僕はとある理由から本読むのが割と早い。
というのも、セリフと場面設定と心情把握ができそうな部分だけかいつまんで読んでいて、その後の展開に支障の無さそうな部分に関してはガンガン読み飛ばしちゃってる。
例えば当作で言えば、一人称視点なので主人公の頭の中が垣間見えるわけだけど、何かを推理したり、他人の気持ちを推し量ったりする思考プロセスみたいな部分は読まなくても結論にさえ目を通せばストーリーを辿るのには差し支えがない。
あるいは、漫画で背景だけのコマとか、コマの左右にセリフがあるときの真ん中あたりにある絵っていうのは多分に読み飛ばすというか見ているようで見ていない人が多いと思う。
それを僕は小説を読む時にもやっているというだけの話だから、そこまでおかしなことではないはず。
音楽では前奏はスキップすることもあるし、映画も冗長な部分はスマホを見ながら観ることもあるはず。
そんでもって、この作品は読み飛ばす部分が割と多くはあった。
と、そんなこんなでここまで書いてて思ったけど、感想は『ゾッとするシーンあったね』くらいなので、特段オススメって訳ではない。米澤穂信作品に魅せられたり文体・表現が好きなら読む価値はあるかも。

儚い羊たちの祝宴

★★☆☆☆

この時あたりから公開された時系列順に作品を読んでいけばよかったと後悔した。
ビックリするくらいに作風が変わったというか。本筋だとかジャンルとしては謎解きとかミステリにカテゴライズされる作品ばかりの著者だったんだけど、その中でもう少し細かい部分での作風がガラリと変わったというか。
王道とか邪道とか、そういう類、意味での作風の変化が感じられた……気がする。
変化へ至ったのがどういう経緯なのかは知らないけれど、彼は元々ショートショートみたいな、短篇集、付け加えれば王道ミステリに才のある作者なのかもしれないなぁなんて。
というわけで、こちらは短篇集だった。それも一つ一つの出来栄えがすごく良かった。一応舞台/世界線が共通しているというところではあるけれど、短篇集には変わりない。
ただ、僕は短篇集が苦手……というか暇つぶしのために読書することが多いので、長く一人の登場人物や一つの世界観に没頭していられる方がありがたい。
ので、この辺りから若干ほかの作品に触れる気が失せてきてしまった。
まだ読んでない作品がふたつあるけれど、また読んだらこの記事に追記するかもしれない。
それでも、米澤穂信のいいところは、ボトルネックの主人公みたいな人を一人称視点で描いてくれるとこな気がしたし、そういう作品を書いて貰えたら嬉しいなぁなんて思ってたりする。
性格の悪い人は性格のいい人を演じられるけど、性格のいい人は性格の悪い人を演じられないと思ってて。
それと同じように、闇を繊細に描ける人って結構稀有な存在だと思っているので……。

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